エッセイ

読書嫌いが読書に目覚めたら人生変わった。

読書する女性

 僕は読書が嫌いだった。しかしまったく本を読まなかったかと言えば嘘になる。小さい頃はよく絵本を読んだり、図鑑を眺めたりしていた。漫画も好きでよく読んでいた。きっと幼き頃の僕は読書が好きだったのかも。

 二〇一九年、夏が終わりをむかえようとする日のこと。リビングのソファにくつろぎながら僕は映画を観ていた。平手友梨奈主演の『響-HIBIKI-』という映画だ。休日はもっぱら映画鑑賞に身を捧げていた。

『響-HIBIKI-』が公開された当初、主演をつとめた平手友梨奈さんの演技に注目が集まった。彼女の演技力に、共演者からも絶賛する声があったとか。

 欅坂46を箱推ししていた僕は公開前から気になっていたが、映画館に観に行くほどの熱量はなかった。なのでレンタルされるまで待つことにした。それから一年くらいの月日が流れ、ようやく『響-HIBIKI-』を観る機会にめぐまれた。

 映画『響-HIBIKI-』は、圧倒的な文才を持つ天才女子高生・鮎喰響(平手友梨奈)が、才能と破天荒な性格が巻き起こす出来事を通して、彼女自身とその周りの人たちの成長を描いた物語だ。

 冒頭から度肝を抜かれた。共演者が絶賛するのも素直に頷ける演技力。女優・平手友梨奈のスゴさを感じずにはいられない。まるで鮎喰響が憑依しているかのよう。

 そして中盤くらいだっただろうか、響の言葉に、僕の心がつよく揺さぶられることとなった。

「……。大好き。読むのも書くもの好き。心に直接触れているようで」

 これは編集者の花井ふみ(北川景子)に、「小説は好き?」と聞かれ、それに答えた響の言葉だ。この言葉を聞いた瞬間、全身に稲妻のようなものが走った。と同時に、「小説が読みたい」という気持ちがふつふつと湧きはじめ、僕は困惑した。まだ本を嫌っていたころだから。

 正直なんでそんな急に、それも突然、そんな感情があらわれたのか不思議でたまらなかった。たぶん響の小説に対する熱い想いがひしひしと伝わり、僕の心を動かしたのだと思う。

「人の心を動かすのは、作品ではない。人の心である」

 僕はもともと読書の習慣などほとんどなかった。社会人になってからはとくに本とは疎遠に。仕事のためにビジネス書をたまに読むくらいだった。そもそも活字というものに僕は馴染めずにいた。基本的に、本だと活字がメインとなる。その中でも小説は、活字のオンパレード。だから小説を最後までちゃんと読んだことがない。

 これまでの人生で僕は、絵やイラストが載った本を好んで読んでいた。それはビジュアルがぱっと目に入り想像しやすいからだ。小説に書かれたビジュアルというのは、活字やその集合体である文章から自分でイメージしなければならない。その文章からビジュアルを脳内で映像化するという行為が、読書をつらくさせた。当時はまだ、小説の何が面白いのか、まったく理解できなかった。

 なぜそんな人間になってしまったのか──。

 それは中学生になって初めての夏休みのこと。各教科から出される課題で、どうしてもイヤな宿題があった。そう、読書感想文だ。何をどう書いたらいいのかわからなくていつもギリギリまで手を付けなかった。正直投げ出したかったが、そうもいかない。怒られるのはイヤだ。だからしょうがなく重い腰を上げ、冒頭と結末だけを読んで当たり障りないことを書いて、その場をしのいだ。

 読書感想文を書くために強制的に本を読まされるから、本当に憂うつな宿題だった。読書が嫌いになるものしかたがないと思う。「読書×嫌々やらされるもの=憂うつ」という感情がこびりついてしまい、僕にとって読書は苦行となった。そして、読書に対する苦手意識や嫌悪感を抱いたまま、大人になってしまったのだ。

 だけど鮎喰響の心に触れたことで、僕の心に大きな変化が──。

 映画を見終わって、すっかり響の言葉に打ちのめされてしまった僕は、小説を読みたい衝動に駆られる。読書嫌いにもかかわらず、インターネットで本を探しはじめた。そして一つの作品に目が止まる。その本の帯に視線を向けると、そこには「主人公と一緒に働くことの意味を見つめ直す本」という言葉が。

 その頃、僕は転職して三ヶ月くらい経ったときで、ちょうど仕事に悩んでいたのだ。運命的な出会いだと思い、すぐにその本を買うことに。

 注文してから数日が経ち、本が届いた。さっそく読みはじめるも、活字に慣れていない僕は、一章読むのにも時間がかかった。正直、最後まで読み切る自信がなかった。途中で投げ出してしまうかも、と思った。

 それでも僕は毎日、少しずつ読み進めた。すると次第に、わくわく感が満ちてきたのだ。物語の世界にすっと引き込まれ、いままで味わったことない感覚に。なんだか懐かしいような、だけど新鮮な感じで、心地よさする覚えた。

 そこに綴られた数々の言葉に刺激されて、どんどん読み進めていった。最後の章は一気読み。人生ではじめて小説というものを最後まで読んだ。そして本の面白さを思い出した。

 いままで本を読んでこなかったことを後悔した。こんな面白いならもっと早く知りたかったから。いや、それに気づけただけでも十分いいことだ。小説の面白さに気づかないまま生きていたかもしれないから。読書好きからしたら、それこそ苦行だ。

 本にはそれを書いた人の価値観や哲学、ほかにもいろんなものが詰まっているのだと思う。読書はまるで著者の心に触れているよう──。小説を読んだことで、鮎喰響の言葉の真意がわかったような気がする。

 読書好きにとって読書はエンタメで娯楽なんだろうな。でも読書が嫌いな人からすればそれは苦痛でしかなく、娯楽とは認識していないのだ。昔の僕のように。

 いつかの僕は読書の楽しさをみじんも知らなかった。だけど、読書は他人の人生を疑似体験しているようで、ちょっとした旅気分が味わえることを僕は知った。読書は楽しくて面白いからするもの──。

 一冊読み切ったことで、僕は自信がついた。ちゃんと本が読める、読むのが楽しい、と。それからというもの、読書にハマりにハマった。二冊目、三冊目と読んでいくごとにどんどん本の世界にのめり込んだ。いままで本を読んでこなかった時間を取り戻すかのように。

 いつの頃からか、読書の幅がぐっと広がった。読書にハマりだした当初は小説ばかり読んでいたが、エッセイやビジネス書、自己啓発書などの本も読むようになったのだ。毎月一冊、二冊は必ず読むようになり、僕の部屋には徐々に本が増えていった。

 こうして僕は読書好きになり、生活が一変した。まるでモノクロの世界からカラフルな世界に彩られていくように。

 本を読むようになって、自分で考える力というものが身に付いた気がする。以前の僕は周りに合わせることばかりして、自分の意見などなかった。それがいろんなことに疑問を持つようになり、自分なりの答えをだすということをするようになったのだ。本当にいろいろなことに「なんで?」と思うようになり、なんだか子どもに戻ったような気分に。

 読書によって考える力を手に入れた僕は、見える世界がぐっと広がった。「ものごとを多角的に見る」という武器を携えたことで選択肢も増えた。きっと読書好きになっていなかったら、フリーランスになろうと思わなかったし、アーティストになろうとも思わなかっただろう。とくに深く考えず、みんなのようにサラリーマンになっていたと思う。

 本は偉大──そして言葉の力は最強だ。

 二〇二〇年、桜が彩りを輝かせる春。本がない生活なんて考えられないほど、読書が好きになっていた僕は、読書記録としてインスタグラムに感想文を投稿しはじめる。好きな本について語らう友だちが近くにいないことに気づいたからだ。僕の周りには本を読む人がほとんどいないという現実を知り、どこか寂しさを感じた。

「誰かと本について語り合いたい。本に興味を持つ人が増えてほしいな……」