奮闘記

【第三話】逃げたっていいじゃないか別に

正しい選択より自分自身にとってよい選択を──。

人は常に『自分が正しい選択をしている』と思い込みたい生き物。すべての人に当てはまるような“正しい選択”など、この世には存在しない。大切なのは“正しい選択”をするのではなく、いまの自分にとってもっとも“よい選択”をすることだ。

僕は会社へ向かっていた。

昨日、メンタルが崩壊した僕は心療内科に足を運んだ。そして医師に告げられたのは、抑うつ状態、不安症という二つの診断名。

あらためて社長に診断結果を報告するために出勤した。「会社を辞めたい」という意思も伝えたかった。会社に着いたが、社長はまだのようだ。

それから三十分が過ぎ、社長が出勤してきた。それからすぐに話し合いがはじまる。いまの自分の状態を説明し、この状態では仕事を続けるのは難しいと伝えた。

だが肝心の辞めたいという意思までは伝えられなかった。それは”正しい選択”ではないと思ったからだ。入社して三ヶ月で辞めるって常識的にありえない。もちろん本心ではすぐにでも辞めたかった。社長に言いくるめられたことも大きいだろう。

やはり僕には逃げる勇気を持ち合わせていないのかもしれない。

話し合った結果、とりあえず一週間の休養期間をもらった。最後に社長から、疑いの目つきでこう言われた。「診断書もらってきてね」と。ああ、信用されていないんだ、と悲しい気持ちに。

心の病気が、まだまだ理解されていないだという現実を突きつけられる僕。

休養中、僕は部屋でぼーっとしていることが多かった。気分が良ければ本を読んだり、YouTubeを見たり、自分の好きなことをして過ごした。

あっという間に一週間が過ぎた。ふたたびあの拷問部屋へ行かないといけないのかと思うと、憂うつな気分に襲われる。少し休めば多少なりとも気持ちが前を向くかと期待していたが、回復の兆しは見られない。

僕は抑うつ状態というものを甘くみていたのかもしれない。うつ病でないとしても、その症状があらわれているのだ。決して僕の心は正常な状態ではない。本当に心の病気なんだと、僕は自覚した。気持ちの持ちようだと言う人もいるかもしれないが、それは違う。

しかしその事実を知っているのは、実際に病気になった人だけ。目に見えてはっきりわかる疾患ではないからだ。

休養明け、僕はふたたび社長に相談を。今回は辞めたいという意思をちゃんと伝えた。しかしそう簡単に辞めさせてはくれないようだ。「君にはセンスもあるし覚えも早い。辞めるのは簡単だけど、せっかくいいものを持っているのにもったいないんじゃない」という言葉が僕にぶつけられた。もう少し頑張れということだろう。

僕は思った。やっぱり周りから見ると、甘えて怠けているだけだと思われているんだと。しかしそれはなにも他人だけに限らない。自分自身でもそう考えてしまっていた。「怠けているだけでみんなに迷惑をかけている」と自分を責めることもしばしば。その結果、本心を押し殺し、もう少し頑張らないとダメだ、という選択を知らず知らずのうちにしていた。

「会社をすぐ辞めるのはダメ」という常識とやらに縛られる僕。無理してでも続けることのほうが正しい選択だと思い込んでしまう。

それから二週間はいままで通り、仕事をこなした。もちろん辛かった。このまま続けていたら、自分がどうにかなってしまいそうだとも感じていた。

「なぜ自分をそんなに犠牲にするんだ? なぜそこまでしがみつくのだ?」

その問いには答えられなかった。わからないのだ、自分でも。逃げることは、どこか後ろめたさを感じるものだった。

多くの人は「逃げる=負け」というネガティブなイメージを思っているのではないだろうか。逃げるのは勇気がない人がやることだと思っている人も多いはず。しかしそれは違う。勇気があるからこそ、逃げられるんだ。勇気がなければ僕のようにずるずるとその場に留まり続けてしまう。

逃げることがダメなことだという思い込みから、僕は逃げることは正しい選択ではないと思ってしまう。

日を追うごとに僕の精神はどんどん蝕まれていく。この当時、週一で心療内科に通っていた。ある日の診療で、症状が悪化していることを伝えた。医師から「一ヶ月くらい休養したほうがいいかもしれないね」と長期療養を勧めてくれた。それを会社に報告。一ヶ月間、休職することに。

この期間は、一日一日をただ生きた。前回の休養のとき違うことは、思考や感情を整理するためにノートにそれらを言語化し、書き記したことだろうか。好きなノートと良さげな万年筆を用意して自分の中のモヤモヤを吐き出した。

一ヶ月が経ち、僕はふたたび会社に戻ってきた。そしてもう一度、辞めたい意思を伝えた。しかし返ってきたのは予想もしない言葉だった。

「結局気持ちの問題でしょ。新しい環境だし、覚えることも多くて大変だからしょうがないよ。あなたの気持ちもわかるけど。一ヶ月休養したんだからもう少し頑張ってみたら」

会社の駒としか思っていないようなセリフに聞こえた。次の社員が入るまでなんとかつなぎ止めようという魂胆なのかわからないが、その言葉は僕の心臓をえぐる。激しい失望感に襲われ、生きる希望の光が消えていった。それと同時に深い深い絶望の淵に立たされるようだった。

しかし僕は、「逃げたい」という意思表示をしているだけで、実際には逃げようとしていないように思えた。勇気がないから檻の扉が開いていても逃げられないでいる。そんな状況だ。

「おまえは会社のために働いているんじゃないだろ。自分の人生を生きろ! 自分の身を守るために逃げたっていいじゃないか別に」

そんな言葉を誰にかけてもらえたならきっと、逃げる勇気が湧いたかもしれない。言葉の力は絶大だから──。

僕の精神状態は極限にまで達していた。周りの雑音に苛立ちが積み重なる。些細な音でさえうるさく感じた。もう何もかもが嫌になって、「死」という逃げ道にますます魅力を感じていく。しかし逃げる勇気のない僕にはそれもできなかった。

だから勝手に、他人へそれを託した。通勤中に通り魔に刺されないかなと考えたり、一時停止を無視した車が僕を轢いてくれないかなと考えたり。自分でできないなら、誰かにあの世へ導いてほしかった。身勝手にも”それ”を他人に頼ってしまう。

毎日そんなことを考えながら、一日一日をやり過ごして生きていた。

その後、会社から「アルバイトとして週3勤務で働くのはどうだい?」という提案があった。僕のことを考えてくれての提案だと思ったが、きっと引きとめるための手段だったのように思える。

勇気のない僕はそれを承諾する。逃げられないのなら、いかその場所にいないで済むかを考えた末の選択だ。もしかしたらその環境になれるかもしれないという、わずかな望みを見出すためでもあった。ウェブデザイナーの仕事自体は好きだった。

勤務数が減ったところで、休むこともしばしばあった。わずかながら気持ちにゆとりができた、気がした。が、気がするだけで気持ちは沈んだまま。

定期的に社長と話し合い、その都度「仕事を続けるのは厳しい、辞めたい」と告げた。しかしなかなか辞めさせてくれなかった。その現実にぶつかるたびに、僕は生きる意味を一つずつ失う。

そしてとうとう僕は究極の選択を考えはじめる。生きるか、死ぬか。

正直、自ら命を絶つ人の気持ちが全く理解できなかった。だけど今ではそういう人たちの気持ちが痛いほどよくわかる。しかし今では生きる大切さも知っている。

やっぱりこうして生きる選択をして思うことがある。「生きていてよかった」と。そう心の底から思える日が来るのだ。だから生きづらさを感じる人たちに少しでも力になりたい。逃げることができない人たちに少しでも勇気を届けたいんだ。自分の居場所を見つけだしてもらうために。

逃げることができれば、きっとその先に自分の居場所が見つかるはずだ。

会社を辞めれず、ずるずると時が経ち、入社してからもうすぐ一年が経とうとしていた。「もうこれ以上、仕事を続けるのは難しいです」と社長に言った。年末に近かったからか、「年明けに話そう」とまた先延ばしにされる。もやもやしたまま年を越すことに。

年明け、僕は会社を辞めた。やっと辞めることができた。予想外にあっけなく、あっさりと。「もうこれ以上は仕事は続けられません。辞めさせてください!」そう告げると、社長は諦めたように肯いたのだ。

その瞬間、呪縛から解放された気分になった。心からホッとした。人生を諦めそうになったけど、なんとか踏ん張った。そのまま会社にしがみついていたらきっと、僕は「死」という選択肢を選んでいたはずだ。

そして僕はニートになった。

大変なのはこれからかもしれない。貯金だってすぐに尽きてしまうだろう。僕は親の脛をかじって生きることにもなる。だとしても僕は生きたかった。それが恥かしいことだとしても。

両親には申し訳ない気持ちでいっぱいである。ニートでおまけに親の脛をかじって生きるなんて、誰もが否定的だ。僕なんかいないほうがいいんじゃないか、と悩む時期もままある。

だけど僕はこう考えるようにした。僕という人間に投資をしてくる両親がいる。父と母だけは僕のことを信じてくれていると。

ニートになった僕は病気を治すことだけに専念しようと思い、まずは早寝早起きで生活リズムを整えることから始めた。気分がいい日は大好きな読書に耽ったり、映画やドラマを観たりして好きなものに触れるようにして、気持ちをポジティブな方向へ導く。

そんな日々を過ごし、春日和のぬくもりが気持ちいい季節がやってきた。少しずつ心の霧が晴れ、晴れやかな気持ちがやってくる。

そして僕は自分自身を見つめ直した。これからの人生は自分らしく生きるという、自分にとって”よい選択”をするために。

”正しい選択”なんてない。いまの自分にとって”よい選択”をしたほうが、人生は幸せな方向に向かうのではないだろうか。