奮闘記

【第七話】目的と手段の掛け違いにはご注意

落ち込む女性

 挑戦に、失敗はつきものだ。トライ&エラーを繰り返して、人は成長していく。だから失敗を恐れずに何度も挑戦すればいい。そう思えたとき、自分の視界がぐっと広がった気がした。

 僕には文章で食べていくという目標がある。そのためにSNSを始めた。TwitterやInstagramはあくまでブログで食べていくためのツールだ。決してフォロワーを増やすことが目的ではなかった。

「SNSで夢を叶える!」と思い立って数ヶ月が経った頃。

 僕はニート脱却のため、三十歳にして初めて、TwitterやInstagramといったSNSに触れる。SNSを始めた頃はなかなか「いいね」も「フォロワー」も増えず、苦戦した。だけど辛抱強く続けていると次第に、いいね数もフォロワー数も上昇していった。それはわずかなものだったが、友達が増えていくような感覚で、素直に嬉しかった。その感覚が心地よく、もっとフォロワーを増やしたいという想いが自然と湧いた。

 僕はSNSマーケティングや自己ブランディングの勉強をするため、ショッピングサイト『Amazon』で三冊ほど本を購入。届いてすぐに読み始め、できそうなことを片っ端からメモしながら読み進めていった。

 Twitterでは、一日5ツイートを心掛けたり、見る人にとってより有益な情報を多く発信するようにしたり。一方のInstagramでは、投稿する写真をもっと”映える”ような写真に加工したり、投稿する曜日や日時を変えるなどを試みた。

 すると以前にも増して、いいねやフォロワーが増えていくのがわかった。もちろんそれは1が10になるようなものではなく、1が2になるくらいのものだが。

 しかしあるときからぱったりと伸びなくなってしまう。一瞬心が折れそうになるが、続けることの大切さを知った僕は力をふりしぼって踏ん張る。だが、それも長くは続かなかった。

 ある日、急にやる気が宙へと飛んでいってしまったのだ。燃料を失った僕は、二、三日SNSから距離を置く。夢に向かって、一日一歩でも半歩でも歩んできたにもかかわらず。

 ゆっくりだったが着実に前に足を運んでいたはずなのに……。そんな言葉が頭をかすめ、いつまでも立ち止まっていられないと思いがこみ上げる。昨日より一歩でも半歩でも前進するため、新しいことを始めてみることに。

 僕は、『note』というサービスを始めた。noteとは、自分自身の経験やノウハウを手軽に共有できるサービスで、ブログのように情報発信ができる。ここでさらに文章力を磨き、ブログを始めれる前の練習になればと思う。

 しかしながら、そんなことをするなら、ブログ始めてしまったほうがいいことはもちろんわかっていた。でも僕にはその行動ができずにいた。

 なかなか行動できない人にありがちな思考の代表は、0点か100点かでしか評価できない極端な完璧主義だそうだ。そういった人は、行動するときに100点にしようと強烈なプレッシャーを感じて、動きが鈍くなってしまうらしい。

 まさに僕自身がそれだった。だからブログ食べていくという目標があるにもかかわらず、ブログを始められずにいた。

 noteで記事を投稿しながら、TwitterとInstagramでの情報発信も少しずつ再開していった。日々文章を書いていると、以前よりもスムーズに文章を書けていることに気づく。得意とは言えないが、文章を書くことが素直に楽しく思えた。

 苦手なことでも継続していけば、いつか得意なことになることもあるのかもしれない。小さな積み重ねだとしても続けていくことで大きなものになる──そんな学びにたどり着いた頃、僕はふと思う。いまやっていことは本当に正しい道なのだろうか、と。

 その疑問が頭に浮かんだ瞬間、大きな間違えを犯していることに気づいた。いつの間にかフォロワーを集めることに必死になる自分がそこにいることに。

 文章で経済的自立を目指していたはず。ブログで食べていけるようになるためのツールとしてSNSを始めたはずなのに……。目的と手段の混乱が僕を襲う。

 混乱の只中にいる僕はいまの状況を整理するため、デスクにノートを広げて考える態勢に。そして万年筆を手に取り、現状の問題と向き合う。

 人生にはこういう失敗が幾度と訪れる。なぜこんなことが起こってしまったのだろう、と考える。実は、数年前まではこんな風に考えることがなかった。

 読書習慣のなかった頃の僕は、考えることを放棄していたように思う。だから自分の意見などもなかったし、誰かの意見にただ頷くばかりで、流されるまま生きてきた。まるで流れるプールに身を任せるように。

 しかし本を読むようになって、ちゃんと自分の頭で考えるようになった。読書のおかげで、自分が思考力や想像力を備えた人間という生き物であることを思い出すことができたのだ。

 ちゃんと自分の頭で考えられる人は、失敗しても何度も立ち上がる。そういう人間は失敗を失敗のまま放置しないのだ。なぜそうなったのかをちゃんと分析し、改善する。成功は必ずしも約束されていないが、成長は必ず約束されているからだ。

 そんな挑戦力のある人間になりたい、と思いながら僕は思考を巡らせる。成長するために。

 自分でも気づかないうちに手段が目的に入れ替わってしまうということはよく起こる。そもそも目的とは、目指す事柄のこと。その事柄を実現する行為や方法が手段となる。

 何かを成し遂げようとするとき目的と手段はセットになっている。「~実現のために、〇〇するもしくは〇〇がある」というように。

 僕の場合、「文章執筆で経済的自立(=目的)のために、SNSで自己ブランディングやマーケティングをする(=手段)」ということ。それがいつの間にか、SNSでフォロワーを増やすことばかり考えてしまっていた。

 時として、何が目的で何が手段だったか混乱してしまう。それは本当に気が付かないうちに入れ替わってしまうからおそろしい。

 おそらく目的と手段は目線を置くレベルによって、相対的に決まるのだろう。あるレベルでは目的であったものが、違うレベルでは手段になりうるのだ。

 そのレベルを見つけるため、僕は初心を思い返す──文章で経済的自立を目指していた。そのためにブログで食べていけたら、と思っていた。

 僕は目標を達成するためにどんなことをすればいいかを再考する。やはりブログを始めないことには、目標は一向に叶えられないと思う。ぐるぐると思考を巡らせているうちに僕は、素直にブログを始めようと思い立つ──。

 最初から100点なんて取ろうとしなくていい。文章表現が稚拙なものだとしても、それすら文章の”味”とすればいい。完璧を求めすぎていては、何も達成することができなくなってしまうのだから。

 夢に立ち向かうと幾度となる失敗は付きもの。だけどそこであきらめずに、なぜ失敗したかを自分なりに考え、再挑戦していけばいつか夢にたどり着けるはずではないだろうか。

 そもそも失敗は当たり前にある。挑戦をしていくと失敗が増え、徐々に選択肢を絞れる。そして進むべき方向が見えてくるのだ。何もしなければ失敗はないけれど、得るものもないし、どこに向かって進めばいいかもわからないまま。

 この世界には、「七転び八起き」ということわざがある。「何度、失敗しても、あきらめずに努力すること」「失敗や敗北にくじけず、何度も挑戦を繰り返すこと」という意味だ。

 七回転ぼうが八回転ぼうが、それよりも一回多く立ち上がればいい。失敗してもあきらめず、なぜ失敗したかを考え、何度も挑戦することでいつか目標を達成できるはずだ。

 僕はあらためて、ブログを始めることを決心する。ブログで収益を得るため、経済的自立という目標に向かって突き進む。