奮闘記

【第一話】挑戦しない人生は楽しくないしつまらない

人はえてして変化を好まず、現状を守ろうとしがちである。しかし新しいことや困難なことにチャレンジせず、現状に甘んじることは、すでに退歩が始まっていることを意味する。

三十歳の誕生日を迎える一年ほど前のこと。僕の転職活動は予想以上に難航していた。全くの未経験から新境地に挑む難しさを痛感する。もちろんそんな簡単に内定がもらえるとは思っていなかった。しかし書類選考の段階で落とされることばかりで、正直落ち込んだ。

就活やアルバイト探しではすんなり決まることが多かった。きっと転職もあっさり決まるだろうと、どこかで甘くみていたのかもしれない。そんなふうに楽観視するから痛い目にあうのだ、と反省。でも思ってしまったものはしょうがない。苦難があるからこそ人は成長する。たくさんの壁にぶつかり、必死に乗り越えようとするから、人は成長していくのではないだろうか──。

僕は七年ほど勤めた会社を離れることにした。三十歳という節目を目の前に、なにか新しいことに挑戦してみたくなったからだ。

その会社ではボディケアセラピスト、いわゆるマッサージの仕事をしてきた。知識はもちろん、技術力がものをいう職種だったので最初は苦労したが、続けていくうちに技術が磨かれ、セラピストという仕事に面白さを感じられた。

人間の身体は不思議なことばかり。「ここの筋肉をほぐすことでこっちの筋肉がほぐれやすくなるのか」とか、「こういう風にほぐせば筋肉が緩むのか」など、日々いろんな発見があった。だから飽き性の僕でも長く続けてこられたのだろう。

そのうえ運良く店長に推薦してもらえたり、のれん分け制度が始まったときにも上司から「やってみないか?」と声を掛けてもらった。おかげでチャレンジングな時間を過ごすことができた。

そんな経験がなければとっくにセラピストの仕事を辞めていたはず。しかしあるとき、密度の濃い時間を過ごしたせいか、やりきった感を抱きはじめる。とうとう飽きてしまったようだ。

僕はそのとき、三十歳という節目が目の前に迫っていた。三十歳を過ぎると転職が難しい、と誰かから聞いたことがある。実際、転職サイトの求人を見ると、応募条件に「三十歳までの方」と書かれているのも稀ではない。

そのうえ未経験での転職の場合、伸び代を期待して採用が決定することが多く、転職後の成長力が重要視されているらしい。吸収力のある若い人材を求めているのだ。

そして僕は転職を考えはじめた。

僕は幼いころから好奇心旺盛で、興味を持ったことはとりあえずやってみたくなる子どもだった。幼少期では水泳や英会話、中高生のときはサッカーにバスケ、それからスノーボード。そして二十歳を越えてからはレーシングカートを。他にも小さなチャレンジがあり、とにかくいろんなことに挑戦する人生を歩んできた。

三十歳を迎える年始め、僕は新たな一歩を踏み出すと心に決める。

きっかけは当時いっしょに働いていた同僚の一言。「ウェブデザイナーなんていいんじゃない? 知り合いがやってるんだけど面白そうだよ」と薦められた。その肩書きに好奇心がくすぐられる。僕はすぐにスマホで詳しい仕事内容を調べた。

数日間、悩みに悩んで、僕は決意した。ウェブデザイナーを目指すことを。しかしながら心配事だらけで、後戻りしくなる。先のことを考えると不安にかられた。

しかし僕たちは今という時間を生きている。そんな先まで見なくていいのだ。とにかく最初の一歩を踏み出せばいい。そう自分に言い聞かせ、重い足を前へふりだす。だけどいつも素直にそれができるわけではない。その一歩がなかなか踏み出せないことだってある。

人は変化を嫌ういきもの。せっかく積み上げた城から離れたくないのだ。だから最初の一歩が踏み出せずにいることがままある。僕の場合、最終的に好奇心が勝ってしまい、結局チャレンジングな道を進んでしまうが。

僕は意を決して会社を辞めた。

もちろん仕事をしながらでも、ウェブデザイナーを目指すことはできるだろう。だが僕はそんなに器用な人間ではないし、仕事しながら勉強する余裕もなかった。それに、会社を辞めることであえて、後戻りできない状況を自らを追い込んだ。そうすることで必死になれる。本気になれる。

Apple創業者であるスティーブ・ジョブスもこう述べている。「安全にやろうと思うのは、一番危険な落とし穴なんだ」と。

困難な道を突き進んでいくのに大きな苦難を伴うものだが、そのぶん見返りも大きい。困難が成功をもたらしてくれる。だから退職という選択を──。

自ら職を放り出した僕は、ニートという肩書きを手に入れる。それは自由に時間を使える素敵なものだった。もちろんその時間は目標を叶えるために使った。ウェブデザイナーになるため、日々勉強にいそしんだ。

僕は独学で勉強した、必死に。貯金があまりなかったからだ。専門学校やオンラインスクールなどに通うお金なんてものはなかった。参考書を読んだり、無料の学習サイトを利用したり、YouTubeで解説動画を観たり、とにかく使えるものは使った。いまの世の中、インターネットがあればさまざまな情報が手に入る。ネットさまさまだ。

必要最低限のスキルが身に付いたところで、僕はポートフォリオの制作に取りかかった。ポートフォリオとは、自分の作品をまとめたいわゆる作品集のこと。どれくらいの実力を備えた人なのか、それを採用担当者に知ってもらうための必須アイテム。デザイナーを目指すのであれば、必ず持ち合わせなければならない武器である。

ポートフォリオづくりはなかなか大変な作業だった。そもそも僕には作品といえるものがなかった。まずは作品制作をしなければならない。ウェブサイトをひとつ制作し、それから名刺やポスター、バナーなど、合計十個ほどの作品をつくった。ここまでくるのに約二ヶ月半。そこからポートフォリオ制作に取りかかり、なんとか仕上げることができた。

ようやく転職活動が本格的にスタート。とりあえず大手転職サイトに登録しまくり、手始めに二、三社に応募してみることに。しかし書類選考で落ちた、あっさりと。それからも気になった企業に片っ端から応募した。面接まで進めたところも数社あったが、ことごとく落ちた。十数社ほど応募したが全滅に終わる。

未経験でデザイナーになるなんて難しいことだったんだ、自分にはセンスなんてないんだ、と一瞬あきらめかけた。が、最後のあがきで二社だけ受けることに。やはり諦めきれずにいた。

自分が求める会社ではなかったが、一応ウェブデザイナーにはなれるところだった。妥協ではなく方向転換を。

もしダメだったら、そのときまた考えよう。僕はこのとき、ほとんど諦めモードだった。前職と同じマッサージの仕事なら経験もあるし、仕事は見つかるだろうと考えていた。

僕は緊張の面持ちで面接場所へ向かう。二日前、駄目押しで応募したA社から面接の連絡があり、いままさに面接に向かっているところだ。今まで面接にいけたとしてもことごとくダメだったが、今回は違ったらしい。面接もいい感触で終え、爽やかな風を感じながら帰路につく。そして翌日、一次面接通過の知らせが届いた。

もう一つのB社からも「ぜひ会って話しがしたい」という連絡が。こちらの面接も悪くない感触。結果を待つ時間が落ち着かなかった。これがダメならウェブデザイナーの道は諦めるつもりだったから。

ある日の午後、スマホが鳴った。B社からの電話だ。「ぜひうちに来てほしい」という言葉が僕の耳に届く。電話を切ったあと、疲労感と安堵に包まれた。これでひとまず諦めないで済む。

A社の二次面接を受けた翌日、こちらも内定の連絡がきた。

前職を辞めて必死で勉強したのにダメだったらと、不安が大きかっただけに内定の連絡をもらったときは心の底からホッとした。あきらめないでよかったと素直に思う。

あきらめて続けられない者は、前に進むことはできない。あきらめずに続ける者は、前に進むことができる。目標を叶えられる人はきっと、後者の人間なんだろうな。諦めずに続けたから転職に成功した。最後のあがきがなければ転職できなかったはず。

しかし会社選びというのはもっと慎重になるべきだ、といまになって思う。やりたい仕事だったとしても、職場環境が合わなければ結局辞めて振り出しに戻るのだから。その人にはその人の居場所というものがある。自分の居場所ではないところに、無理にとどまることはやめたほうがいい。自分でも気が付かないうちに深い深い傷を負ってしまう。そしたらすべてが泡となり消えていく。

挑戦は時として残酷な結末に終わることがある、ということを僕は知ることになる……。

二つの企業から内定をもらった僕は選択を迫られていた。デザイン制作がメインA社か、デザインとプログラミングと幅広い仕事ができるB社か。少し迷ったが、プログラミングにも興味があった僕は後者を選んだ。

転職先が決まったのは十二月の中旬のことだった。年明け、晴れて僕はウェブデザイナーになる。新しいことをはじめるとき、不安もあるけど心躍る気持ちのほうが先行する。

挑戦というのは高い目標を設定し、現状を否定しながら常に新しいものを創り出していくこと。もしかしたら僕は、挑戦者としてこの世に生まれてきたのかもしれない。