奮闘記

【第五話】人生の岐路に立ったとき、あなたならどんな選択をしますか?

再就職するか、それともフリーランスになるか──。

心の病に立ち向かい、前向きな気持ちを取り戻した僕は、重要な決断に迫られていた。しかし、自分が本当にやりたいと思うことを見つけないことには判断できない。自分にとって”よい選択”をするためにも、正しい答えを見つけださなくてはならない。

人生の岐路に立たされた僕は、やりたいこと、そして夢や目標を見つけるためにふたたび自分と向き合うことに。

自分を見つめ直し、自分の正体を知った僕の前には、新たな壁が立ちはだかっていた。それは、やりたいことを見つけること。目指すべき山頂、進むべきルートが見えてこないことには前へは進めない。

自分という人間を理解したうえで、その自分が何をやりたいのか。挑戦者である僕がどんなことに挑みたいのかということを決めなくてはいけないのだ。

僕は自室に転がるイスに腰かけ、デスクへ向かった。ノートと万年筆を用意し、思考の旅へと出掛ける。

頭をフル回転させ、心の底から「やりたい!」と思えることはなんだろう、と考えを巡らせた。僕の人生の指針は「好奇心の赴くままに興味あることに挑戦する」ということ──だったら、「好奇心の向く先は?」「興味のあることは?」と自身に問う。

僕は文学や写真、映像、音楽といった表現に興味を持っていた。ではそれらの表現方法を使って何かできないだろうか、と新たな疑問が生まれる。僕はさらに考えを巡らせていく。

混沌とした世の中で何が正しくて何が悪なのか。その回答はもう、簡単にはわからなくなっていた。そこら中で人々が我慢と我慢の押し付け合いをしている。そんな日本という場所で僕は、ずっと生きづらさを感じていた。

僕らは、職場や学校での他者との関係、自分の在り方についてなど、社会や個人的な問題としての何らかの生きづらさを抱えながら日々を過ごしている。どこか閉塞感に覆われ、息苦しささえ感じることも。見えない壁が障害となり、僕らを苦しめているような気がしてならない。

しかし国や社会が悪いわけでもない。もちろん生きづらさを抱えている人間の精神的な弱さでもない。ではなぜ、生きづらさを感じるのだろうか。それはきっと、自分でも無意識のうちに”普通”や”常識”を背負い込んでしまっているからだと、僕は思う。

秩序だった社会で逸脱をせず、常識的な行動と見方で日々を過ごすことが良いとされている世の中に、僕らはいる。だから人は知らず知らずのうちに、思考や行動パターンを植えつけられてしまっているのだ。

そしてその根っこには、世の中の規範的社会と個人が抱える”個”のあり方の問題があるのかもしれない。

もしかして僕のように生きづらさを抱えながら生きている人が多いのではないだろうかと、ふと思う。そんな人たちに手を差し伸べることはできないだろうか。生きにくい世の中に苦しむ人がもっと生きやすいと思えるようになればいいのに……。僕が素直にそう思うのには理由があった。

僕は本気でこの世からいなくなってしまいたいと思うことがあったからだ。この世界から消えてラクになりたい、と。だけど僕は踏みとどまることができた。

僕は昔から小説や映画、ドラマ、アニメなどの物語に救われ、いつも生きる希望をもらってきた。もちろんそれ以外にもたくさんの存在に救われた。

死と向き合い、いま生きていてよかったと思う僕だからこそ、伝えられることがあるはずだ。そんな答えに行きついたとき、僕はふと思った。僕自身が「物語」に救われたように、作品をつくって誰かの希望の光となれないだろうか、と。

もうこの世から消えてしまってもいい、と思っていたこの僕だが、世の中そんなに悪いもんじゃないのかもしれないとも、いま生きていて思う。きっと何か希望となるものに出会うことができれば、それだけで人は変われるのだと思う。どんなに小さな希望だとしても。

「生きてるのが楽しくない」「毎日つまらない」と述べている人の多くは、気づかないうちに自分で自分を追い込んでしまっている。まずはそれに気づくことだ。そしてわずかな希望でもいいから、それ見つけだしてほしい。

生きる希望があるからこそ、僕たちに生きようとする。希望が失われれば生きる意味がなくなり、人間は生きることを諦めようとするのだろう。

だから過去の僕のようにどこにも居場所がないと思っている人や、ずっと悩み続けてどうしようもない人には、生きる希望となる”なにか”を探してほしい。そして僕はそんな人たちのチカラになれるようにこの人生を幸せに楽しく、納得のできるものにしていこうと思う。

ある日一冊の本を読んでいて、ある言葉と出会う。


「自分の経験や価値観や哲学をお裾分けして、そこからその人の人生にプラスになるものを届ける」(自分思考、山口絵理子、講談社)

この言葉に出会った瞬間、宝物を見つけたような感動が押し寄せてきた。おもわず「これだ!」と心のなかで叫ぶほど。僕はその言葉をノートに書き留め、頭の中で反芻する。するとある言葉が頭に浮かんできた。

「生きづらさを感じている人たちに生きる活力を届ける──」

生きにくい世の中にいると次第に生きる希望が薄れていく。すると死の誘惑に駆られ、僕のようにこの世から消えてしまいと極端なことを思ってしまうだろう。世の中を変えることは難しい。しかし自分自身が変われば、いまより生きやすくなるではないかと僕は思った。

文学、写真、映像、音楽といった表現に関心があった僕はそれら駆使して、生きにくい世界に苦しむ人の人生の希望となるような作品をつくれたら──。

生きる希望となる作品を生み出し、その作品に出会った人が、少しでも「生きていてよかった」と思ってもらいたい。僕は自身の経験や価値観や哲学を、文学や写真、それから映像に音楽といった表現で伝えていきたいという気持ちが湧いてきた

「言葉や写真や映像や音楽などで、生きづらさを感じている人たちに生きる活力を届ける」これが僕が見つけ出した答えだった。やりたいことを見つけると、自然と夢や目標も見えてきた。

「文学、写真、映像、音楽」を掛け合わせた表現で、生きる希望を届けるアーティスト。それが僕の目標であり、使命だ。

そして夢は小説を出したり、個展を開いたり、映画をつくること。一人でも多くの人に生きる希望を届けるために。

自分という人間をさらに深く知った僕は人生の岐路に立ちもどることに。

再就職するか、フリーランスになるか。人生の岐路で決断するとき、自分自身にたった一つの質問をすればいい。

「本当はどうだったら楽しいのか──」

ただこれだけを考えてみるのだ。何もかもうまくいくとして、どっちを選んだら楽しいのか。ただそれだけを考えれば、自分にとって”よい選択”ができるはずだ。楽しいのかどうかをいちばん大切な選択肢として考えればいい。

色んな経験を経てきたからこそ生まれた僕なりの哲学。

僕の心は自然と決まった。フリーランス──自分らしく、好奇心のおもむくままに挑戦し、夢や目標を実現するためにも、その選択が僕にとって”いい選択”だと思った。

時間や場所も自由で、色んなことにもチャレンジできる。だけどその反面、その行動や選択に自分が責任を持つことになるけれども。それでも僕はフリーランスの道を歩みたかった。

もちろん再就職することも考えた、だけどそれを選ばなかったのは、やっぱり怖かったからだ。また心に傷を負うのはもう嫌だという気持ちが強かった。ふたたび自分を傷つけるようなことはしたくない。

心の傷が癒えていない僕にはどうしても恐怖がつきまとう。

人生に迷ったら、まずは自分を大切にすること。人生の岐路に立ったときには、自分のことだけを考えればいい。周りを一切気にせず、周りに何も咎められないとしたら、あなたは何をするか、そして何を選択するか。その答えがきっと、あなたの本当の望みなのだと思う。

フリーランスの道は決してラクな道ではない。とても険しい道だ。しかしこの先どんな困難が待っていようと、自分を信じて突き進むだけだ。何度転んだって、何度でも立ち上がればいい。夢は、実現するまで歩き続けるれば叶うのだから。

僕は何か勘違いしていたのかもしれない。自分が感じたことや思ったことや経験したことにいちばん価値があるはずなのに、それは意味がないとして外側に答えを探し求めていた。そうやって自分の感覚を消して、無色透明な人間になろうとしていた。

なぜそうしてしまおうとしたのか。それは自分を信じてないからだろう。だから外側に正しい答えを探そうとしたのかもしれない。しかしそこに、正しい答えなんてないのだ。

学校で正しい答えを探すことばかり求められているとそうなってしまう。外側に正しい答えがあると、正しい答えを出すのが優秀だと。

しかしそうではなく、自分が感じていることや自分の経験は価値があるのだと認めることから始まるのではないだろうか。

自分の内側にこそ、本当の答えがあるものだ。だから人生はもっと自由でいい。

思考の旅から戻った僕はノートを閉じ、ベッドに寝転がった。